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「キャリア教育のあり方を問う~働く若者の適応と抵抗に必要な労働市場とは~」 [行ってきました(♪あんだんて♪レポート)]

本田由紀さん(東京大学大学院教育学研究科教授)

一昨年のリーマンショック以後、就職状況が悪い。今年大学4年のわが子も、シューカツ戦線の真っただ中、相変わらずのマイペースに見えるが本人なりに一生懸命シューカツしているようだ。今の就職状況や仕事と教育の密接な関係を知りたいと思い、講演を聴きに行った。日本の中学生のPISAの成績順位が下がったというので、学力テストが行われた時、本田さんが成績の低い生徒にちゃんと学力保障すれば簡単に日本全体の子どもの学力は上がると、新聞に書いておられたのを覚えている。公教育の本来の使命を言い当てていらっしゃると思い、また生活のしんどい層の子どもたちに温かい目線を感じて共感を覚えたので、今回の講演を楽しみにしていた。

 昨今の「キャリア教育」は、「お前が生き延びられるように力をつけろ」という自己責任の発想に基づく教育である。現実の社会がどうなっているのか?その社会の中で若者はどんなところに立っているのか?という認識をもたなければ、若者が「働く」現実が見えてこない。
 戦後日本社会は、2つの大きな社会転換の時期があった。65年から高度成長期に入り、72~73年のオイルショックで終焉を迎えた。その後 安定成長の時代がつづき、91年バブルが崩壊し、失業、生活保護、預貯金の非保有者が増え続けている。高度成長期には「理想」をもてたが、オイルショック以降追い求めた社会が「虚構」だったことに気づき、バブル崩壊後「不可能性」の社会に若者たちは生きている。
高度成長期に高校や大学を卒業した団塊の世代とバブル崩壊の時期に社会に出た団塊ジュニアの世代を比較対照すると、そのちがいは顕著である。団塊ジュニア世代を見ても、90年に高卒で就職した若者たちは、ちょうどバブルの真っただ中、容易に就職できたが、大学進学した者たちは、4年後の94年にはバブルが崩壊し就職氷河期に直面している。

○ 高度成長期以降安定期を支えた「雇用」「家庭」「教育」の戦後日本型循環モデル
「雇用」・・・正社員の終身雇用、年功序列、が保障されるが単身赴任やサービス残業など、家族を養うために会社にすべてを投入する。その結果、80年代には「会社人間」「社畜」「過労死」という言葉がマスコミに登場した。
「家庭」・・・父が持ちもたらした賃金を、教育に注ぐ。その背景には公的養育費の少なさがある。(学校教育費の対GDP比、2005年度28カ国中日本は最下位)
教育への意欲は、家族をばらばらしてしまった。80年代金属バット事件など親子間の殺人事件が増えていく。
「教育」・・・「いい会社に入るため」にする勉強、教育は中身が空洞化していった。70年代、80年代に教育問題が増大した。

○従来の循環型モデルから振り落とされる層
ところが90年代バブル崩壊以降、「雇用」の世界に変化が起き、循環が成り立たなくなった。
企業が正社員を減らし、「周辺的正社員」「非正社員」増やした。学校を卒業しても不安定な若者、賃金格差が大きくなり、家族を作れない若者が増えた。
従来型の循環モデルにのれる層とのれなくなった層に二分。循環型モデルからふりおとされた個人が増え、派遣村にあつまった人たちそのような一部である。
 循環型にのれた人たちは、その地位を維持するのに必死にしがみつかなければならないのでしんどい。そして「自分は努力したから当然」と思う。
のれなかった人たちは、仕事に就けないのは「自分のせい」と思っている。
「自己責任」「働かざる者食うべからず」という社会の風潮が、お互いを共感し合うことから遠ざけている。

○日本の労働現場で起きていること。
正社員は、「ジョブなきメンバーシップ」非正社員は「メンバーシップなきジョブ」
それぞれの依って立つルールが対極にある。
正社員の問題は、職務範囲が不明確なので限りのない仕事量と長時間労働がある。
非正社員の問題は、仕事ははっきり決まっているが、低賃金、職業訓練がない、有期雇用。
どちらにも共通する問題は、世界的コスト競争と産業構造の変化(高付加価値化、サービス化)により、利潤獲得が困難になった企業が、法律や人権をないがしろにする働かせ方が増大している。
「ブラック企業」労働法やその他の法律に抵触するような条件での労働を強いる、関係処方に抵触する可能性がある営業行為、もしくはパワーハラスメント、暴力的強制など本来業務とは関係のない非合理な負担を強いる体質をもつ企業(学校、社会福祉施設、官公庁の企業、器量機関など)のことをさす。
若者のあいだに諦念がひろがっている。異議申し立ての手段を知らない。
有給を取らせない。サービス残業など違法な処遇の経験は、正社員は44%で最も少なく、パートアルバイトは58,4%と最も多いが、身分に関係なく約半数が経験している。

○教育の問題
労働や社会生活に教育が役立つという教育の「意義」が希薄である。高校レベルで職業訓練のできる教育機関は少なく、また地位が低くみられる。
格差化の問題・・・少子化と進学率の増大で、大学が多様化し格差化している。
高校もとくに普通科が格差化しており、小中の学力保障がないので家庭の格差が子どもに直接的に影響している。
学業、成績、進学実績など目に見える数値化されやすい尺度で指導され、管理や競争を強められる学校のなかで不登校、中退が増えた。

○教育の意義とは?
その中で具体的な中身のない、スローガンだけのキャリア教育が行われている。
(コミュニケーション能力、人間力、生きる力、といったあいまいで抽象的な)
高校も大学も社会生活や仕事に教育が活かせていると思う若者は、他国と比較すると極端に少ない。「学校生活を通じてもっと教えてほしかったこと」というアンケートに「職業に必要な専門的な知識、技能」「生きていくためのスキル、知識がほしい」という回答が多い。

「能力主義」「希望・自己責任」「社会不満」の相関分析
「能力主義」は若者間でひろく是認されている。能力をきわめて個別的なものととらえているので、社会不満を変革する「希望」へと結びつけられないでいる。

○今後の改善の方向性
1、「仕事」に対して「教育」の意義は、二つ(適応と抵抗)。
A,専門的知識、技能(適応)
B、仕事の問題状況に対応する労働法および労働者の権利に関する知識と実践方法。(抵抗)
以上を、個別に身につけるべきであると教育するのではなく、いろいろな人と関わり、協働を通じて追求し実現していけるのだと若者に伝えること。
2、正社員と非正社員の対照的な問題「メンバーシップ」と「ジョブ」のバランスを改善する適正な働き方。例)ジョブ型正社員の追求
3、「教育」と「仕事」をつなぐこと。その間の時間的余裕をおくこと。
4、「教育」と「仕事」の間隙に落ちた層に対する公的支援の拡充。
5、「能力主義」への対処
「能力」は個人責任ではなく、社会全体で個人の能力を伸ばし発揮できるようにするべきである。
「能力」にかかわらず、人間として生活が保障されることの社会的承認が必要である。

○若者が社会で生きていくために今必要なこと。
専門高校と普通科高校を比較したとき、
高校の段階で専門教育をしっかり受けていると、仕事に入ったときひとまずは尊重する価値があるという扱われ方をするので、本人を守る鎧になる。
普通科だと、お小遣い程度で雇える非正社員か正社員であっても長時間労働などの使い捨ての扱われ方。むき出しのなにも鎧がない状態で仕事に出ていかなければならない。
政策的に鎧になる知識やスキルを身につけられる期間を増やす必要がある。若者は職業訓練を受けておいたほうがいい。

○教育から社会へと広がる若者支援を
学校には教育だけでなく福祉、医療、雇用・労働問題など多様な機能が求められる時代。外部との連携が不可欠。
NPO,地域の支援により、学習支援、放課後支援、進路支援が期待される。(フェルマータ)

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