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学び合おう 語り合おう 子どもたちをまん中に [行ってきました(♪あんだんて♪レポート)]

第60回「不登校・登校拒否を考える会」 講演「思春期と不登校・ひきこもり――どう向きあい、どう寄り添うか」 高垣忠一郎さん(立命館大学大学院教授・臨床心理学)
人生の峠
高垣教授は、今年3月で定年を迎えられた。「よく働いてきなあ」とこれまでの自分をふりかえり、これからの生き方を考える人生の峠の時期。思春期も子ども時代にさよならをして大人の世界に入っていく大事な峠の時期であり、これから自立していくための「第二の誕生」ともいうべき時期である。「第一の誕生」は、母の羊水に守られている胎内から産道をくぐり抜け、外界へ出てくるが、そのときが一番人間の体が柔らかい。そのときガチガチに体をこわばらせていたら産道をくぐり抜けられない。第二の誕生のとき、子どもたちはガチガチの心と体で生きている。不登校の子どもの体に触ってごらんなさい。がちがちに固まっている。それはなぜ?
今の思春期は立ち止まって一休みできる峠がない。山をぶち抜いてただただ先を急いで早く走る高速道路のように、子どもたちは感じているのでは?
 今の社会では、商売やビジネスは「部分」なのに、それが「まるごと」人生を乗っ取ってしまっている。そうするとどこかで愛を見失ってしまう。子どもたちの苦しみの根源にはそれがある。人を愛することができるようになること
 フロイトは、大人になることの条件として、働くことができることと、愛することができるようになることをあげている。子どもだった自分にさよならをして、男に、女になるのが思春期の仕事。エエ男、エエ女は本気で人を愛することができる。ある思春期の子どもは言った。「好きになることと愛することはちがうんやで。いくら会いたくても、相手のことを思ってじっと我慢できるのが愛することなんや」 人を愛することの前に、自分を愛することができるようになること。私にとっての愛する人(わが子)は、他の誰とも代えられないかけがえのない大事な人。今一緒に生きていられるだけでうれしい、有難いと思う。この気持ちを自分に向けると、自分はかけがえのない大切な人。自分は自分であることが、とてもうれしくて有難い、となる。

不登校の歴史
1940年代初め、米国でジョンソンという医師が、「怠学・さぼり」の子どもたちの中にちょっとちがう頭痛や腹痛などをともなう子どもがいることに気づいていた。「学校恐怖症」と名づけられた。日本でも50年代終わりごろから、不登校が出てきた。そして、70年代半ばから急に増えた。73年にオイルショックがあり、それまで高度成長だった経済がそれ以降、低成長、不況の時代に入った。その頃から受験競争が激しくなったが、その教育環境に比例するように不登校、登校拒否が増えてきた。
 子ども達の生活が「高速道路」になってきたとも言える。高速道路では車の流れにのって走らないといけないので、自分のペースで走れない。しんどくなってくるが、この高速道路を行かないと「しあわせ」にたどりつけないと思わされているから、降りられない。そこで、サービスエリアで休んで自分を取り戻す作業をするが、このとき周囲は充分なゆとりと時間を与えてあげなければならない。ある不登校の子どもは「私にあの学校へ行けというのは、私に死ねと言うのと同じ」と言った。でも、親や先生は「この子はみんなに追いつけなくなるのでは?」「『しあわせ』に届かないのでは?」「嫌なことを避けるような人になるのでは?」と心配で、子どもにハッパをかける。そうすると子どもは追いつめられる。学校へ行くのにお金がかかることも一因している。

自己否定から解放して自己肯定感を
いじめで不登校になった子どもに「自分のことどう思ってる?」と聞くと、「自分のこときらいや」と言う。「中学から学校を楽しめてないから」。いじめっ子がいるから楽しめなくて当然なのに、「自分はなにも取り得がない、自分が悪いからいじめられる」と自分を責めている。
今の社会が若者に冷たい仕組みになっていたり、労働環境を批判せずに、働く意欲がない、チャレンジ精神がないと若者パッシングをしているが、若者自身が「自分が悪いから」と自責に駆られている。
そんなふうに心の中に居座ってしまった「自己否定の心」から解放していけるように援助していかなければいけない。
 不登校の子どもと向きあう親自身も「私はなにをしあわせとして生きていくのか?」という問いに始終向き合わされる。今の自分、今の親子、夫婦、社会が問われる。
 病気を治すのは医師ではなく、患者自身の持っている自然治癒力、自己免疫力である。不登校の子どもは自分自身で自分を直していく力がある。その子自身がもっている自己回復力が活性化するように手伝うのが、周囲の大人のあるべき援助である。
「こんな自分でもいいんや」「自分が自分であっていい」と思えないと子どもは立ち直れない。ありのままの自分であっていい、と思えると自分が好きなる。自分が好きなると心が軽くなる。心が軽くなると「~したい」という内発的な意欲が湧いてくる。こんなふうにして子どもは元気になっていく。
親はかけがえのないわが子を見て、人と比べない。「一緒にいるだけでいい」「生きているだけで有難い」という人間関係の中で自己肯定感は膨らんでくる。お互いに許しあう人間関係のなかで、人の役にたったり、自分をかけがえのない存在と思ってくれる人がいたりして、自己肯定感は育まれる。





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